グランギニョルの舞台裏

グランギニョルの舞台裏

グランギニョルの住人達は、新たな演者を待っている。

▼ ルネコの備忘録#9_キルステン編 ▼

 ここ数週間で、俺は目に見えて憔悴していた。

 

 目の下の隈は日に日に濃くなり、元は日焼けで浅黒かった肌もすっかり白くなってしまった。

 恋煩いのせいか?それもあるが、何せここは人を喰らう怪物の支配する屋敷だ。太陽も木漏れ日も存在しない世界、それだけで人間は徐々に正気を失っていくのかもしれない。

キルステン

 今日何度目かも分からない溜息を吐いた直後、小気味良いノックの後に”ハァイ、 ルネコ!”と弾けるような声が聞こえてきた。重たい身体に鞭を打ち扉を開ければ、そこには水色の化粧が特徴的な怪物が立っていた。

 彼…いや、 彼女か?ともかく人魚は俺を見るなり”ちょっとアンタ寠れすぎよオ?!イイオトコが台無しじゃないのッ”姦しく騒ぎ立てられ、キィンと耳鳴りがした。放っておいてくれ、と吐き捨てる前に、俺の身体はふわりと宙に浮いた。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。

 これにはいくらなんでも戸惑い、抗議の声を上げたが“キャンキャン鳴く前に肉でも頬張りなさいナ。アンタ流石に軽過ぎよ”強制的に、けれど乱暴ではない手つきで食卓に着席させられ、どこから取り出したのか美味そうなローストビーフと葡萄ジュースが目の前に並べられた。

 脂ぎったステーキではなく、あっさりとした料理を選んでくれたあたりに配慮が感じられる。とはいえ一向に箸が伸びない様子の俺に痺れを切らしたのか、対面に座る彼は腕を組んでふんぞり返り“その肉の切れッぱし、無理やり口に詰め込まれたくなきゃ今すぐ自分で食べなさい。でなきゃアンタをそンなにした原因を、洗い浚いこのアタシに話すのよ”口調こそ荒々しいものの、こちらを真っすぐに見つめる瞳は確かな思いやりと温かさを灯していた。

 

 暗闇へ放り込まれた哀れな羽虫が、わずかな光の方へふらふら向かって行くように、俺は半ば無意識に心中を吐露していた。

 掃き溜めに遺してきた孤児仲間が気がかりな事。

 太陽と青空の下、思い切り草原を駆け回りたい事。

 いつ怪物に喰われるかも分からない、恒常的な恐怖にはもううんざりな事。

 そして、時の流れも食べ物も、全てが己と異なる怪物に恋をしてしまった事。

 

 彼は途中で口を挟む事なく、俺が話し終えるまでただ黙って耳を傾けてくれた。難しそうに長く吐息した後、テーブルに両肘をつくように身を乗り出して”……アタシがとやかく言える立場じゃないのは解ってる。でもねルネコ、この屋敷に住む怪物共はみぃんなアンタの事が好きなのよ。身勝手な願いなのは重々承知だけれど、アンタには比処に来た事を後悔して欲しくないの“何を無茶な、と鼻で笑う気力ももう残っていなかった。

 きっと怪物たちは俺を好きなわけじゃない、人間というエサが好きなだけだ。目の前の彼はそれを断固否定するだろうけど、もう真実と向き合う情熱も枯渇していた。

 ただただ投げやりな薄い笑みを口許に張り付けるだけの俺を見て、彼は悲痛な表情で俺の事を一度だけ抱き締めてくれた。骨と筋肉で彩られた硬い身体に包まれるのは少し痛かったけれど、まるで母に抱かれているような錯覚を覚えた。

 母親のことなんて顔すら覚えてないのに、不思議だよな。

 

 その後、心配なのよと俺から離れようとしない彼を無理やり部屋から追い出し、俺はシャワーを浴びた。

 バスルームの鏡に映る、落ち窪んだ目許。唇だけは薄気味の悪い笑みを描いていた。痩せこけた哀れな悪魔のようなその姿、これは本当に俺なのだろうか?

 俺は誰だ?俺は何だ?まさかその記憶すらも死神に喰われたのか?

 まて、思い出せ、俺はルネコだ、俺は、俺は、おれは__。


 摩耗した精神は限界を迎えていた。

 降り抜いた拳はガシャンと甲高い音を立てて鏡面を砕き、痩せた悪魔の姿は無数にひび割れた。
 鋭い一つの破片、手のひらが切り裂かれ鮮血が滴るのを無視して、俺は煌めく凶刃を__。

 

To be continue...

→次話「#10 クォーヴ編」

→前話「#8 ユギン・レナード編」

 

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