グランギニョルの舞台裏

グランギニョルの舞台裏

グランギニョルの住人達は、新たな演者を待っている。

▼ ルネコの備忘録#8_ユギン・レナード編 ▼

 すべてを忘れてしまう事は、シンプルな死よりずっと恐ろしい。

 

 ジョネルが喰らった俺の記憶は、本当にたった一つだけか?命と同等に大切な思い出を喰われてしまったのではないか?それは確かめようのない、虚を掴むような話だ。

 このままぐるぐると記憶の呪縛に囚われていては、いよいよ気が触れてしまう。いっそ発狂してしまった方が楽なのかもしれない。

ユギン

 物騒な思考が脳裏をよぎったその刹那、軽快なノック音が俺を我に返してくれた。

 扉を開けた途端、視界いっぱいに広がる黒い布。その隙間から伸びてきたのは白く筋張った腕、抵抗する暇もなくそれに抱きすくめられた。”やあ、僕の可愛い子羊くん”……こいつにはパーソナルスペースってもんがないのか?

 死人の如くひんやりとした体温に包まれると、安心感よりも不気味さが勝る。離してくれ、と身を捩ると、彼はふさふさの尻尾で俺の首筋を擽るように撫でて”恥ずかしがらないで、ルネコ。僕は君を愛したいだけだよ”耳元で甘やかに紡がれる声音は蜂蜜のようで、反射的に背筋がぞくりとした。駄目だ、彼は話が通じるタイプではない。

 そういえば以前誰かから、「捕食を愛情表現と宣う怪物がいる」と小耳に挟んだ事がある。そいつの特徴は確か、山羊のような長方形の瞳孔だった筈__どうか違ってくれと願いながら彼の顔を盗み見た。…ビンゴ。

 このまま彼のペースに乗せられ呆気なく喰われてしまうのか、そう考えてしまった瞬間、ふととある怪物の残像が瞼の裏に去来した。艶のある金髪、しっとりした紫の双眸、上品な唇から覗く牙。俺は、彼女の事を…?

 今の状況を忘れて呆然とする俺の顔を、インキュバスはじぃと見つめて”……ふふ、そう。君の心は比処には無いんだね”愉快そうに、けれどどこか少しだけ寂しげに言い残し、彼は俺からするりと離れてくれた。

 怪物に慕情を抱く奇特な人間へ、尚も変わらぬ愛おしそうな視線を送りながら”彼女の事なら、幼馴染のヴァンパイアに訊くと良いよ。彼は倣慢だけれど、悪党じゃあないからさ“俺は一度でも、ヴァンパイアの彼女の事を想っているなんて口に出しただろうか…?何故その事を知ってるんだ、と詰問する前に、彼は霧のように跡形もなく俺の部屋から消えていた。

レナード

 後日、アドバイス通りヴァンパイアの彼を部屋に招いてみた。

 気難しそうなノックに慌てて扉を開ければ”……お前がルネコ?家畜の分際で俺を呼び出すなんて、命知らずな奴。"眉間に刻まれた深い溝はまさに不機嫌そのもの、加えて人間を見下す態度を隠そうともしていない。本当に彼は、あの物腰柔らかな彼女の幼馴染なのだろうか?

 何はともあれ招いたのは俺の方だ、怯む事なく彼と対話したい。そしてあわよくば、一つでも多く彼女の情報を手に入れたかった。話をしてみて分かった事だが、彼は態度の割に冷血ではないようだ。俺の切実な想いを正直に打ち明ければ、信じられないだの何だの言いながら、きちんと様々な質間に応えてくれた。

 

 俺が情報の対価としてレナードに支払えるものは、色々と検討したが結局自分の血液ぐらいなものだった。彼は美食家と聞いていたが、幸いにも俺の血を代償として受け取ってくれた。しかも、吸血時の傷痕を魔法ですっかり消してくれた。

 理由を問えば、“お前の首に牙の痕があるのをリーシュが見つけたら、互いに面倒でしょ”との事。やはり彼は、刺々しすぎる態度のせいで損をしている。もう少し笑えばいいのに、と告げると、むっとして”五月蠅い”とだけ言い残し、立ち去ってしまった。

 

 また部屋に静寂が訪れる。

 寂莫と見上げた夜空の玉兎に、お前は矯小な存在だと嘲笑われているように感じた。

To be continue...

__怪物に頼みごとをする対価として、具体的な物品を所持していない・思いつかない場合は、自分の身体の一部を交渉材料に使う事も出来ます。
怪物には各々食の好みがあり、それにマッチしていれば交渉が成立する事があります。

→次話「#9 キルステン編」

→前話「#7 レジーナ・ジョネル編」

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