グランギニョルの舞台裏

グランギニョルの舞台裏

グランギニョルの住人達は、新たな演者を待っている。

▼ ルネコの備忘録#10_クォーヴ編 ▼__end.

 勢いよく喉笛を掻っ切ったつもりだった。

 

 だが、痛みも血飛沫もない。

 握り締めた鏡の破片は、俺の首筋に触れる直前で見えない何かに阻まれるように静止していた。どんなに力を込めてもそれ以上進まない。 カいっぱい破片を握り締めている手のひらは深く切り裂かれ、ボタボタ流れ落ちる鮮血がシャワーの水へ溶けるように流れてゆく。

クォーヴ

 その時だ。ざあ、と風が吹くように、 何か不思議な力の流れを感じた。

 するとひとりでにシャワーは止まり、俺の背にふわりと柔らかいバスタオルがかけられて"血の香りだ。傷口を見せて御覧、早く止血しなくちゃ”突如背後から聞こえてきたのは穏やかな声。

 それに振り向いて反応するよりも早く、びしょ濡れの髪や身体が暖かな魔力に包まれ、みるみる乾いてゆくのを知覚できた。いつの間にか手のひらからの出血は止められていたが、痩せた肉体には負担の大きすぎる出血量だったようだ。

 ふらついて床へ倒れ込みそうになったが、穏やかな声の主が俺をしっかりと抱き止めてくれた。白んだ視界に映る、黒煙の様な特殊なコート。見覚えがある、これは、あの死神の__。

 忌々しい死神の手中から逃れようと腕を突っ張ったつもりだったが、どうにも力が入らない。自害を邪魔された苛立たしさと不甲斐なさと無力感から、俺は自ら死を望む言葉を、無意識に唇から零した。”それは無理だよ、ルネコ。 君達はね、 怪物にとってとても大切な存在なんだ。自分で自分を殺すなんて、屋敷が許してくれないよ”つまり、わざと生け捕りにした活きの良い獲物に自ら死を選ばせるなんて、そんな勿体ない真似はさせない__そういう事なのだろう。

 いつまで生きていられるか分からないうえに、自分の意思で死を選ぶ事も出来ないなんて。
 俺は、心からの願いを死神へ告げた。死の恐怖を、異端の恋を、その全てを忘れたかった。もう疲れてしまったんだ。何もかもが思い通りにならない、黒薔薇の呪いに縛られたこの屋敷に。

 "今までよく頑張ったね、ルネコ。 大丈夫、もう怖くないよ"柔らかな手つきで髪を幾度か撫でられ、その心地良さに驚いた。こんなにも夢見心地なのは、喉から手が出るほど望んだ俺の死が、目前まで近付いている事を本能が察知しているからだろうか。

 俺に救いの死をもたらす怪物の顔を見上げれば、白と黒が反転した双眸と視線が交わった。この既視感__鳴呼、やはり彼は死神だ。"そう、良い仔だね。そのまま俺の事を見つめていて。君の記憶、君のすべて、俺が大切に食べるからね"良い仔、そのワードに誘われ呼び起こされたのは、恋い焦がれたヴァンパイアの彼女の姿。この感情と記憶は、さぞかし美味いんだろうな。

 __死神の冷たい唇が、俺の手の甲に触れた。
 全身の筋肉が弛緩する。秒針の音が遠ざかる。まばゆすぎる光は、やがて純粋な闇をもたらした。

 

 この備忘録は、未だに屋敷のどこかに眠っているのだろう。

 彼の最期の時を共に過ごした死神が持ち去ったか、それとも使い魔が書物庫の奥深くにしまい込んだか。

 彼と言葉を交わした全ての怪物が、彼の死を惜しんだという。彼が出会う事の出来なかった特殊な怪物もまた、ルネコの様に言葉を交わしてくれる人間を求めているのかもしれない。

 怪物に愛され、黒薔薇の屋敷にも愛された次の“ルネコ”は、画面の前のあなたかもしれない。

__end.__

 

__これにて『ルネコの備忘録』は閉幕となります。最後までお読み下さり、本当に有難うございました!

これは、黒薔薇屋敷を彩る一輪のお話に過ぎません。皆様が美しく愛に溢れた日々を怪物と共に送る事が出来るように、背後・怪物共々これからも精進して参ります。

これを読了頂いた方限定で、【ルネコの備忘録を見つけるイベント】を体験する事が出来ます。普段の交流のスパイスとして、ご興味のある方は本編にてお気軽にお申しつけ下さい。合言葉は「愛しきルネコへ黒薔薇を」。

それでは引き続き、グランギニョルの世界をお楽しみください。

→前話「#9 キルステン編」

→黒薔薇屋敷の住人一覧

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