グランギニョルの舞台裏

グランギニョルの舞台裏

グランギニョルの住人達は、新たな演者を待っている。

▼ ルネコの備忘録#5_ウーミン・ヴィンス編 ▼

 最近は、何となく気分が沈みがちだ。

 

 この屋敷について考えてみればみるほど、謎は深まるばかり。きっとそれは、俺の様な一介の人間風情が解明できる事ではないのだろう。天上に浮かぶ月を眺めながら物思いに耽っていると、何やら騒がしい声が廊下から聞こえてきた。

ウーミン

 ”やーだー、いま遊ぶのー!”駄々をこねる少女の様な声色に、もしかしたらこの屋敷で初めて俺以外の人間に会えるかも、なんて淡い期待を描いてそっと扉を開けてみた。その隙間から廊下の様子を伺った瞬間、俺の願望は打ち砕かれた。

 人が持つ筈のない、くすんだ白い翼。それを大きく背面に広げた少女が、隣に立つ誰かの腕を引っ張っている光景が目に映る。”1時間寝たら遊んでくれるってゆったもん、ぜったいゆったー!”サラサラと流れる金髪をぶんぶん揺らしながら地団駄を踏む少女、あれは天使なのだろうか?にしては薄汚れているが。

ヴィンス

 一方隣の怪物はうんざりした様子で”…勘弁してよ”と嘆息していた。どういうトリックなのか、暗い灰色の花が彼の肩や手首にいくつか咲いた。

 そこで、ふと俺の視線に感付いた少女が目を輝かせながら俺を指差して”あそぼー!”と声を張り上げた。突然の出来事に戸惑い、対象が違うかもしれないが助けを求めるように花の彼を見つめると”……うん、君に任せた”まさかの丸投げかよ、と愕然とする暇もなく踵を返し立ち去ろうとする彼。

 しかし少女がそれを許さず、彼の腕を今まで以上にがっちりと掴み”うー良いこと思いついた!あのね、3人であそぶの!”__こうして、予期せぬ形で怪物2体を部屋に招き入れる事となった。

 

 …白状しよう、楽しかった。ボロボロの翼の少女__堕天使と後に知ったが__彼女は他の事に興味が向いてさえいれば害意は持たないのだろうし、花の彼は元々捕食にあまり興味がなさそうな印象だ。俺のリクエストに応えて、彼は手のひらからシロツメクサを咲かせてくれた。それで3つ分の花冠を作ってやると、少女は大層喜んでくれた。

 お礼にと渡された羽根ペンは、彼女の抜け落ちた翼の一部で作られたものらしく、お守り代わりになるとかならないとか。盲目の怪物から貰った万年筆があるので、羽根ペンは使わずキャビネットに飾っている。それに並べて置いてある花冠は、生花なのにずっと瑞々しさを失わない。きっと花の彼の魔法の力なのだろう。

 この2つの思い出の品を眺めれば、陰鬱とした気分も少しは紛らわせる事が出来るようになった。俺は徐々に、この屋敷での生き方を学びつつあるのかもしれない。

To be continue...

__怪物から縁のある品を貰う事は、複数の意味を持ちます。

時にはそれが身を守ってくれる事もあり、また物の稀少度や需要によっては、他の怪物との物々交換や交渉にも使用できます。

次話「#6 ギンハ・シャルロット編」

前話「#4 テオ・マリーシュカ編」

▼ ルネコの備忘録#6_ギンハ・シャルロット編 ▼

  日々自室に閉じこもり息を潜めていると、その分退屈が際立って仕方がない。

 

 一度賑やかな楽しさを知ってしまえば、無聊もひとしおだ。死の危険と常に隣り合わせのこの屋敷、もちろん自分の命は惜しい。ゆえに部屋で大人しくし続けていたが、このままでは誰かに喰われる前に暇に押し潰されてしまう。

 だから俺は、心優しい怪物の忠告を無視して、一人で部屋を出てしまったんだ。

ギンハ

 何度目かの曲がり角を超えた頃、そろそろ自分がどちらから来たのかもあやふやになってきた。

 流石にまずいと恐怖を覚え始め、後ろを振り向きながら進んでいると、背の高い誰かにぶつかった。”__無礼な鼻垂れ小僧めが。吾(あ)の羽織を穢す気かえ”頭上から降ってきた鋭い声にそちらを見上げれば、神々しいという表現がしっくりくる怪物が、厳めしい表情で俺を見下ろしていた。その射貫くような眼光に、ああ殺される、と反射的に思った。

 背後でゆらめいているいくつもの豊かな尻尾に見惚れている場合ではないと、俺は切実に謝罪を紡いだ。直後、彼の白く輝く毛並みがあまりに綺麗なものだから、その旨を半ば無意識に呟いていた。すると、先ほどまで気難しそうだった彼の雰囲気が僅かに和らぎ”…もうよいわ。去ね、小僧”それだけ言い残して、九つの尾を持つ彼は俺を害することなく立ち去って行ってしまった。

 彼が心からの褒め言葉に極端に弱いのだとこの時は気が付けず、自分の帰り道を尋ね忘れた事をただ悔いた。

 

 もと来た道を戻っているつもりなのだが、どんなに歩いても一向に廊下の景色は変わらない。月明かりと小さな燭台の灯りだけを頼りに、不気味な雰囲気の屋敷をただただ進む。

シャルロット

 すると、突如として背後から”ネエ。アナタ、そこでナニしてるノ?”虚空を漂うような、質量を感じさせないぼんやりとした声音。継ぎ接ぎの彼の声にどことなく似ている、と思いつつ振り返れば、なんとそこに立っていた少女の顔にも継ぎ接ぎがあった。

 彼の妹か何かかと問えば”妹じゃナイ、デモ似てるッテよく言われるノ”怪物には親兄弟の概念が無いのだろうか?ともかく今はそれ所ではない、帰り道を訊こうと口を開く前に”アナタ、テオと私ドッチが好キ?”こちらを見据える病んだ瞳、それを真っ向から見つめ返せば深淵に引きずり込まれてしまいそうな錯覚を覚えた。

 答えを間違えれば死ぬ、いや死ぬより悲惨な目に遭うかもしれない。分からない、と苦し紛れに答えた俺の表情は、ひどく引き攣っていたことだろう。”……そう。ナラ良いワ”歯車が軋むような音と共に、継ぎ接ぎの彼女は歩み去っていった。その後姿へ道を尋ねようとも思ったが、一度切り抜けた死線を再び潜るのは憚られた。

 今の俺に出来るのは、どうか親切な怪物に巡り会えますようにと祈りながら、歩みを進める事だけだ。

To be continue...

__この様に、危険を冒して独りで廊下を出歩く事も可能です。

怪物の同伴なしでは特別な場所には辿り着けず、廊下を彷徨うのみになりますが、その道中で新たな怪物に出会う事が出来ます。

次話「#7 レジーナ・ジョネル編」

前話「#5 ウーミン・ヴィンス編」

▼ ルネコの備忘録#7_レジーナ・ジョネル編 ▼

 いい加減足が疲れてきた。

 

 どの怪物が言っていたのかは忘れたが、この屋敷は無限の広さを持つらしい。その時は何を馬鹿なと笑い飛ばしたが、今となっては信じざるを得ない。

 このまま疲れ果て倒れ伏すか、獣と何ら遜色ない理性なきバケモノに食い殺されてしまうのだろうか。絶望が顔を出し始めた頃、前方に人影を発見した。

レジーナ

 ブラウンの尻尾と耳、狼のものに酷似したそれを目にした瞬間、あの心優しい狼男の笑顔が蘇る。思わずジェイド、と呼び掛けていた。すると彼女は振り返り”__あんた、あたしがジェイドに見えるわけ?おあいにく様、狼違いよ”オレンジ色の双眸は、狼なのにどことなくネコ科を彷彿とさせた。

 ツンケンした物言いに若干怯んだが、言葉が通じるならまだ希望はある。俺は、道に迷ってしまって自室へ帰れないのだと、人狼の彼女へ助けを求めた。”はぁ?暇だからって部屋飛び出して、挙句帰れなくなるとかあんたどんだけバカなの?”ぐうの音も出ない正論だが、言い方が刺々しすぎやしないだろうか。思わずむっと表情を曇らせてしまった。

 俺のそんな態度を見て、彼女は呆れた様に嘆息し”悪いけどあたし忙しいの。兄貴を呼んどいてあげるから、この場で動かず待ってて”兄貴、という単語には些か驚いたが、人狼の彼を呼んで貰えるならそれに越した事は無い。困った時は呼んでも良いと言ってくれていた筈だ。口は悪いが良心的な対応を取ってくれた彼女に礼を告げ、俺はその場でジェイドの助けを待つことにした。

 

 どのくらい時間が経ったのだろう。5分や10分そこらなのだろうが、もう何時間も待っている気がする。心細くてたまらない。今この瞬間にもあの曲がり角からバケモノが現れ、貪り食われるかもしれないのだから当然だ。膝を抱えて腕に顔を埋め、ジェイド早く来てくれ、と心の中で強く願った。

ジョネル

 ”__君、大丈夫?一人でこんな所に居ちゃ危ないよ”内容の割には危機感のない、陽気な声に顔を上げる。視線が交わった瞬間、思わずぎょっとした。白目が黒い奴なんて初めて見た。黒い煙の様なコートを纏っているのも不気味だったが、こちらを心配してくれたのであろう親切心に甘えて、助けを求める事を優先した。

 ”勿論お安い御用さ。君のとびきりの記憶を、俺に分けてくれるならね”記憶を分ける、それはつまり記憶を食べるという事なのだとすぐに察しがついたのは、この備忘録のお陰だ。

 目の前に恐れてやまない死神がいる、と思えば身が竦んだが、どうにも人懐こい彼の様子は想像上の死神とはかけ離れていた。”君の中でさ、今までで一番エキサイティングな記憶は何?__嗚呼、部屋に戻る間にじっくり思い出してくれて構わないよ”差し伸べられた手を握り返すのは、危険なことだと本能的に理解できた。けれど、人狼の彼が助けに来てくれる保証もないのだ。俺は死神と取引すると決意した。

 その後、死神の導きで無事部屋に帰り着くことが出来た。約束通り記憶を一つ差し出した筈だが、どの思い出を食べられたのかは全く思い出せない。記憶を喰われるという事は、その思い出は元々無かった事になるという事なのだと、身を以て痛感した。

 黒薔薇の屋敷で出会った他の怪物との記憶も、若しかしたら喰われてしまったのだろうか…?

P.S.ジョネルと入れ違う形で、ジェイドは本当に助けに来てくれた様だ。わざわざ俺の部屋まで安否を確認しに来てくれた時の、彼の安堵の表情はまさに父性そのものを彷彿とさせた。

To be continue...

__言うまでもなく、独りきりで自室の外へ出るのは計り知れないリスクを負う事になります。

ですので、身の回りの世話係の使い魔に”怪物を呼んできて欲しい”と頼めば、自室から出る事無く怪物と交流することも出来ます。

既に知り合いの怪物、未だ出会った事のない怪物、どちらも呼び出す事は可能ですが、後者の場合は多少のリスクを伴います。

次話「#8 ユギン・レナード編」

→前話「#6 ギンハ・シャルロット編」

▼ ルネコの備忘録#8_ユギン・レナード編 ▼

 すべてを忘れてしまう事は、シンプルな死よりずっと恐ろしい。

 

 ジョネルが喰らった俺の記憶は、本当にたった一つだけか?命と同等に大切な思い出を喰われてしまったのではないか?それは確かめようのない、虚を掴むような話だ。

 このままぐるぐると記憶の呪縛に囚われていては、いよいよ気が触れてしまう。いっそ発狂してしまった方が楽なのかもしれない。

ユギン

 物騒な思考が脳裏をよぎったその刹那、軽快なノック音が俺を我に返してくれた。

 扉を開けた途端、視界いっぱいに広がる黒い布。その隙間から伸びてきたのは白く筋張った腕、抵抗する暇もなくそれに抱きすくめられた。”やあ、僕の可愛い子羊くん”……こいつにはパーソナルスペースってもんがないのか?

 死人の如くひんやりとした体温に包まれると、安心感よりも不気味さが勝る。離してくれ、と身を捩ると、彼はふさふさの尻尾で俺の首筋を擽るように撫でて”恥ずかしがらないで、ルネコ。僕は君を愛したいだけだよ”耳元で甘やかに紡がれる声音は蜂蜜のようで、反射的に背筋がぞくりとした。駄目だ、彼は話が通じるタイプではない。

 そういえば以前誰かから、「捕食を愛情表現と宣う怪物がいる」と小耳に挟んだ事がある。そいつの特徴は確か、山羊のような長方形の瞳孔だった筈__どうか違ってくれと願いながら彼の顔を盗み見た。…ビンゴ。

 このまま彼のペースに乗せられ呆気なく喰われてしまうのか、そう考えてしまった瞬間、ふととある怪物の残像が瞼の裏に去来した。艶のある金髪、しっとりした紫の双眸、上品な唇から覗く牙。俺は、彼女の事を…?

 今の状況を忘れて呆然とする俺の顔を、インキュバスはじぃと見つめて”……ふふ、そう。君の心は比処には無いんだね”愉快そうに、けれどどこか少しだけ寂しげに言い残し、彼は俺からするりと離れてくれた。

 怪物に慕情を抱く奇特な人間へ、尚も変わらぬ愛おしそうな視線を送りながら”彼女の事なら、幼馴染のヴァンパイアに訊くと良いよ。彼は倣慢だけれど、悪党じゃあないからさ“俺は一度でも、ヴァンパイアの彼女の事を想っているなんて口に出しただろうか…?何故その事を知ってるんだ、と詰問する前に、彼は霧のように跡形もなく俺の部屋から消えていた。

レナード

 後日、アドバイス通りヴァンパイアの彼を部屋に招いてみた。

 気難しそうなノックに慌てて扉を開ければ”……お前がルネコ?家畜の分際で俺を呼び出すなんて、命知らずな奴。"眉間に刻まれた深い溝はまさに不機嫌そのもの、加えて人間を見下す態度を隠そうともしていない。本当に彼は、あの物腰柔らかな彼女の幼馴染なのだろうか?

 何はともあれ招いたのは俺の方だ、怯む事なく彼と対話したい。そしてあわよくば、一つでも多く彼女の情報を手に入れたかった。話をしてみて分かった事だが、彼は態度の割に冷血ではないようだ。俺の切実な想いを正直に打ち明ければ、信じられないだの何だの言いながら、きちんと様々な質間に応えてくれた。

 

 俺が情報の対価としてレナードに支払えるものは、色々と検討したが結局自分の血液ぐらいなものだった。彼は美食家と聞いていたが、幸いにも俺の血を代償として受け取ってくれた。しかも、吸血時の傷痕を魔法ですっかり消してくれた。

 理由を問えば、“お前の首に牙の痕があるのをリーシュが見つけたら、互いに面倒でしょ”との事。やはり彼は、刺々しすぎる態度のせいで損をしている。もう少し笑えばいいのに、と告げると、むっとして”五月蠅い”とだけ言い残し、立ち去ってしまった。

 

 また部屋に静寂が訪れる。

 寂莫と見上げた夜空の玉兎に、お前は矯小な存在だと嘲笑われているように感じた。

To be continue...

__怪物に頼みごとをする対価として、具体的な物品を所持していない・思いつかない場合は、自分の身体の一部を交渉材料に使う事も出来ます。
怪物には各々食の好みがあり、それにマッチしていれば交渉が成立する事があります。

→次話「#9 キルステン編」

→前話「#7 レジーナ・ジョネル編」

▼ ルネコの備忘録#9_キルステン編 ▼

 ここ数週間で、俺は目に見えて憔悴していた。

 

 目の下の隈は日に日に濃くなり、元は日焼けで浅黒かった肌もすっかり白くなってしまった。

 恋煩いのせいか?それもあるが、何せここは人を喰らう怪物の支配する屋敷だ。太陽も木漏れ日も存在しない世界、それだけで人間は徐々に正気を失っていくのかもしれない。

キルステン

 今日何度目かも分からない溜息を吐いた直後、小気味良いノックの後に”ハァイ、 ルネコ!”と弾けるような声が聞こえてきた。重たい身体に鞭を打ち扉を開ければ、そこには水色の化粧が特徴的な怪物が立っていた。

 彼…いや、 彼女か?ともかく人魚は俺を見るなり”ちょっとアンタ寠れすぎよオ?!イイオトコが台無しじゃないのッ”姦しく騒ぎ立てられ、キィンと耳鳴りがした。放っておいてくれ、と吐き捨てる前に、俺の身体はふわりと宙に浮いた。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。

 これにはいくらなんでも戸惑い、抗議の声を上げたが“キャンキャン鳴く前に肉でも頬張りなさいナ。アンタ流石に軽過ぎよ”強制的に、けれど乱暴ではない手つきで食卓に着席させられ、どこから取り出したのか美味そうなローストビーフと葡萄ジュースが目の前に並べられた。

 脂ぎったステーキではなく、あっさりとした料理を選んでくれたあたりに配慮が感じられる。とはいえ一向に箸が伸びない様子の俺に痺れを切らしたのか、対面に座る彼は腕を組んでふんぞり返り“その肉の切れッぱし、無理やり口に詰め込まれたくなきゃ今すぐ自分で食べなさい。でなきゃアンタをそンなにした原因を、洗い浚いこのアタシに話すのよ”口調こそ荒々しいものの、こちらを真っすぐに見つめる瞳は確かな思いやりと温かさを灯していた。

 

 暗闇へ放り込まれた哀れな羽虫が、わずかな光の方へふらふら向かって行くように、俺は半ば無意識に心中を吐露していた。

 掃き溜めに遺してきた孤児仲間が気がかりな事。

 太陽と青空の下、思い切り草原を駆け回りたい事。

 いつ怪物に喰われるかも分からない、恒常的な恐怖にはもううんざりな事。

 そして、時の流れも食べ物も、全てが己と異なる怪物に恋をしてしまった事。

 

 彼は途中で口を挟む事なく、俺が話し終えるまでただ黙って耳を傾けてくれた。難しそうに長く吐息した後、テーブルに両肘をつくように身を乗り出して”……アタシがとやかく言える立場じゃないのは解ってる。でもねルネコ、この屋敷に住む怪物共はみぃんなアンタの事が好きなのよ。身勝手な願いなのは重々承知だけれど、アンタには比処に来た事を後悔して欲しくないの“何を無茶な、と鼻で笑う気力ももう残っていなかった。

 きっと怪物たちは俺を好きなわけじゃない、人間というエサが好きなだけだ。目の前の彼はそれを断固否定するだろうけど、もう真実と向き合う情熱も枯渇していた。

 ただただ投げやりな薄い笑みを口許に張り付けるだけの俺を見て、彼は悲痛な表情で俺の事を一度だけ抱き締めてくれた。骨と筋肉で彩られた硬い身体に包まれるのは少し痛かったけれど、まるで母に抱かれているような錯覚を覚えた。

 母親のことなんて顔すら覚えてないのに、不思議だよな。

 

 その後、心配なのよと俺から離れようとしない彼を無理やり部屋から追い出し、俺はシャワーを浴びた。

 バスルームの鏡に映る、落ち窪んだ目許。唇だけは薄気味の悪い笑みを描いていた。痩せこけた哀れな悪魔のようなその姿、これは本当に俺なのだろうか?

 俺は誰だ?俺は何だ?まさかその記憶すらも死神に喰われたのか?

 まて、思い出せ、俺はルネコだ、俺は、俺は、おれは__。


 摩耗した精神は限界を迎えていた。

 降り抜いた拳はガシャンと甲高い音を立てて鏡面を砕き、痩せた悪魔の姿は無数にひび割れた。
 鋭い一つの破片、手のひらが切り裂かれ鮮血が滴るのを無視して、俺は煌めく凶刃を__。

 

To be continue...

→次話「#10 クォーヴ編」

→前話「#8 ユギン・レナード編」

 

▼ ルネコの備忘録#10_クォーヴ編 ▼__end.

 勢いよく喉笛を掻っ切ったつもりだった。

 

 だが、痛みも血飛沫もない。

 握り締めた鏡の破片は、俺の首筋に触れる直前で見えない何かに阻まれるように静止していた。どんなに力を込めてもそれ以上進まない。 カいっぱい破片を握り締めている手のひらは深く切り裂かれ、ボタボタ流れ落ちる鮮血がシャワーの水へ溶けるように流れてゆく。

クォーヴ

 その時だ。ざあ、と風が吹くように、 何か不思議な力の流れを感じた。

 するとひとりでにシャワーは止まり、俺の背にふわりと柔らかいバスタオルがかけられて"血の香りだ。傷口を見せて御覧、早く止血しなくちゃ”突如背後から聞こえてきたのは穏やかな声。

 それに振り向いて反応するよりも早く、びしょ濡れの髪や身体が暖かな魔力に包まれ、みるみる乾いてゆくのを知覚できた。いつの間にか手のひらからの出血は止められていたが、痩せた肉体には負担の大きすぎる出血量だったようだ。

 ふらついて床へ倒れ込みそうになったが、穏やかな声の主が俺をしっかりと抱き止めてくれた。白んだ視界に映る、黒煙の様な特殊なコート。見覚えがある、これは、あの死神の__。

 忌々しい死神の手中から逃れようと腕を突っ張ったつもりだったが、どうにも力が入らない。自害を邪魔された苛立たしさと不甲斐なさと無力感から、俺は自ら死を望む言葉を、無意識に唇から零した。”それは無理だよ、ルネコ。 君達はね、 怪物にとってとても大切な存在なんだ。自分で自分を殺すなんて、屋敷が許してくれないよ”つまり、わざと生け捕りにした活きの良い獲物に自ら死を選ばせるなんて、そんな勿体ない真似はさせない__そういう事なのだろう。

 いつまで生きていられるか分からないうえに、自分の意思で死を選ぶ事も出来ないなんて。
 俺は、心からの願いを死神へ告げた。死の恐怖を、異端の恋を、その全てを忘れたかった。もう疲れてしまったんだ。何もかもが思い通りにならない、黒薔薇の呪いに縛られたこの屋敷に。

 "今までよく頑張ったね、ルネコ。 大丈夫、もう怖くないよ"柔らかな手つきで髪を幾度か撫でられ、その心地良さに驚いた。こんなにも夢見心地なのは、喉から手が出るほど望んだ俺の死が、目前まで近付いている事を本能が察知しているからだろうか。

 俺に救いの死をもたらす怪物の顔を見上げれば、白と黒が反転した双眸と視線が交わった。この既視感__鳴呼、やはり彼は死神だ。"そう、良い仔だね。そのまま俺の事を見つめていて。君の記憶、君のすべて、俺が大切に食べるからね"良い仔、そのワードに誘われ呼び起こされたのは、恋い焦がれたヴァンパイアの彼女の姿。この感情と記憶は、さぞかし美味いんだろうな。

 __死神の冷たい唇が、俺の手の甲に触れた。
 全身の筋肉が弛緩する。秒針の音が遠ざかる。まばゆすぎる光は、やがて純粋な闇をもたらした。

 

 この備忘録は、未だに屋敷のどこかに眠っているのだろう。

 彼の最期の時を共に過ごした死神が持ち去ったか、それとも使い魔が書物庫の奥深くにしまい込んだか。

 彼と言葉を交わした全ての怪物が、彼の死を惜しんだという。彼が出会う事の出来なかった特殊な怪物もまた、ルネコの様に言葉を交わしてくれる人間を求めているのかもしれない。

 怪物に愛され、黒薔薇の屋敷にも愛された次の“ルネコ”は、画面の前のあなたかもしれない。

__end.__

 

__これにて『ルネコの備忘録』は閉幕となります。最後までお読み下さり、本当に有難うございました!

これは、黒薔薇屋敷を彩る一輪のお話に過ぎません。皆様が美しく愛に溢れた日々を怪物と共に送る事が出来るように、背後・怪物共々これからも精進して参ります。

これを読了頂いた方限定で、【ルネコの備忘録を見つけるイベント】を体験する事が出来ます。普段の交流のスパイスとして、ご興味のある方は本編にてお気軽にお申しつけ下さい。合言葉は「愛しきルネコへ黒薔薇を」。

それでは引き続き、グランギニョルの世界をお楽しみください。

→前話「#9 キルステン編」

→黒薔薇屋敷の住人一覧

▼ 日常イベント ▼

▼ 日常イベント ▼

 

※条件さえ満たせばいつでも発生可能な日常のイベント

※同一の提供と二度以上交流した経験がある方はいつでもどなたでも発生可能

※イベント交流をご希望の場合は、提供を指名する際にお声掛けを

※イベントは随時追加予定

 

【 九死一生 】

 

眠れぬ夜、あなたはそっと自室を抜け出し、暗い廊下を一人往く。

 

不気味な屋敷の中、月明かりを反射して煌めいていたのは生々しい血痕。

 

まだ新しいそれに気を取られていると、あなたの背後には――…。

 

発生条件 → 夜、屋敷を一人で彷徨い、血痕を見つける描写をする

 提供とは別の怪物に襲われ、捕食されそうになったところを、間一髪で提供住人に助けられるイベント
 屋敷の危険を実際に体感しつつ、提供に守られたい方にお勧め

 

【 怪物の証明 】

 

広大な屋敷の中で、迷子になってしまったあなた。

 

ふと耳に入ったのは、とある部屋の奥から聞こえる形容しがたい異音で。

 

脳が警鐘を鳴らしているにも関わらず、あなたは扉を開けてしまい――…。

 

発生条件 → 好奇心に負け、物音のする部屋の扉を開けてしまう描写をする

 提供が、あなたとは別の人間を捕食しているシーンを目撃してしまうイベント
 提供たちが正真正銘の人喰い怪物であることを実感する、ややシリアスなスパイスが欲しい方にお勧め

 

【 月夜の晩酌 】

 

孤独に震える夜、居た堪れなくなったあなたはとある住人の部屋へ赴く。

 

その怪物は、お月見よろしく独りで魔界の酒を嗜んでいる最中で。

 

寂莫とした夜を乗り越えるには、一人と一匹で身を寄せ合う他なく――…。

 

発生条件 → 提供の自室を訪れ、「寂しい」と告げる描写をする

 提供と二人で酒を片手に、只々夜通し交流するイベント
 お相手が未成年キャラの場合は、原則此方はアルコール・お相手様はジュースでの晩酌
 場合によっては提供の酔っ払った一面を見られることも
 日々の交流の中で、“ 提供の部屋を訪れたことがある ”方に限り発生可能

 

【 九尾の神通力 】

 

「そなた、退屈しておるのか。吾もよ、こうなれば――…」瞬間、閃光。

 

目も眩むような光を浴びたあなたは、なんと年端もいかぬ10歳前後の姿に若返っていた。

 

「うむ、愛いではないか。なぁに、半日もすれば自ずと元に戻ろうて。…恐らくのう」

 

発生条件 → ギンハに「退屈だ」と告げる描写をする

 幼年嗜好の変態狐の妖術にて10歳ほどの姿へ変身させられるイベント
その姿のまま別の提供に会いに行くことも可能

妖術の効き目が現れるのはイベント中のみ

 

【 恋の病 】

 

ふと怪物に芽生えた悪戯心、その矛先は仲良しのあなたへと。

 

いつものようにあなたの部屋を訪れ、神妙な面持ちで怪物は口を開く。

 

「どうやら恋をしてしまったようだ」と――…。

 

発生条件 → いつもと様子の違う提供に「どうしたの?」と尋ねる描写をする

 

提供があなたへ、あなた以外の誰かを好きになってしまった、という所謂ドッキリを仕掛けるイベント
無論恋をしてしまったというのは嘘っぱち、あなたの反応が見たいがためのお遊び
同一の提供と五度以上話しており、" 恋 "に纏わる話をしたことがある方に限り発生可能

 

【 怪物にも天罰 】

 

あなたを揶揄った罰が当たったのだろうか、体調を崩してしまった怪物。

 

弱っている姿なんてあなたに見られたくない。

 

けれどそれ以上に、弱っているからこそあなたに傍にいて欲しいのは何故だろうか――…。

 

発生条件 → 使い魔の誘導に従い、提供の自室を訪れる描写をする

本当に病気になってしまった提供を看病してあげるイベント
いつもとは違った様子の提供を見てみたい方にお勧め
イベント【 恋の病 】を経験した方に限り発生可能

 

【 流行り病にご用心 】

 

屋敷中から、咳に苦しみ鼻を啜る苦悶の音が鳴り止まない。

 

どこから入り込んだのか、厄介な風邪菌がヒト相手に猛威を振るう。

 

いつぞやのお返しのつもりだろうか、熱に苦しむあなたの元に現れたのは――…。

 

発生条件 → 風邪に罹り、自室のベッドにてふと提供の名を呼ぶ描写をする

風邪を引いてしまったあなたを提供がひたすら看病するイベント
どんな対応をされるかは、提供との親密度次第
イベント【 怪物にも天罰 】を経験した方に限り発生可能

 

【 御洒落番長襲来 】

 

日々の退屈凌ぎか、とある怪物との約束に備えてか、おめかしをしたいあなた。

 

思い浮かんだのは、やたら身なりに口煩く姦しいあの人魚のことで。

 

対価となるものを用意したあなたは、彼(彼女)の襲来を待つ――…。

 

発生条件 → キルステンへの" 報酬 "を用意したうえで、彼を自室にて待つ描写をする

世話焼きの人魚にひたすらおめかしされるイベント
報酬は他提供との交流で手に入れたものでも、はたまたスキンシップでも、キルステンが欲しいと思う物なら何でもOK
その姿のまま、他提供へ会いに行くことも可能

 

【 全知のカリギュラ 】

 

ある日あなたは怪物の口から、とある魔法の鏡にまつわる話を耳にする。

 

曰くその鏡は神出鬼没で気紛れで、知りたい事を何でも一つ教えてくれると言う。

 

あなたは秘かにその鏡との邂逅を願い、ノックの音も無く現れたのは――…。

 

発生条件 → 自室にて「鏡よ鏡よ鏡さん、」と呟く描写をする

提供の怪物ではなく、実態なき魔法の鏡と会話するイベント

知りたい事に答えてくれるかどうかは聞いてみてのお楽しみ
提供の口から鏡の存在を聞いたことのある方に限り発生可能
普段の交流でそれとない話題で聞き出して頂いて構いません

 

 

 

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